世界の宗教は、たった一つのことを教えています。(カルトを除く)。
神璽と呼ばれる『神のしるし』を様々な名前で呼びました。
アーリア人の崇拝した自然崇拝の中で発見された『神のしるし』。
それがのちに、
西に行ったものとしてはゾロアスター教→ユダヤ教→
系譜の違いの主張によってイスラム教、しるしの再発見によって全人類の救いが説かれたキリスト教になりました。
東に行ったものとしては、バラモン教→しるしを悟る(あるいは授けられる)ことによって全人類が救われることを説いた仏教になりました。
その他、数多ある宗教の真髄は「しるし」のことを説いています。
しかし、「しるし」そのものはもう見ることもなく、発見されることもないまま今に至っているのです。
このことを危惧した仏陀は「しるし」が正しい形のまま伝わることを『正法時代』と呼び、
仏像などを拝むようになり概念だけが残ることを『像法時代』と呼びました。
今は「しるし」も「概念」も削除された説明書しか残っていない、濁悪の『末法』であります。
『末法』の一体なにが悪いのかと申せば、「しるし」のことを誰も知らず、
断片的となった説明書の道徳的な部分だけをかいつまんで「生き方教室」のようになった宗教は
もう「成仏のしるし」という大真髄、人類の生まれて来る大目的を忘れさせて、気休めを言っている大謗法をするようになったからであります。
(謗法とは法をそしる、すなわち『正しき法図をないがしろにする』という意味であります。
これは、人々を根本から救う方法をなくさせる、大変恐ろしい間違いをしているのであります。
世界の宗教は一つであったことを証明する、この「しるし」は、大衆運動にはなりません。
これまで、多くの聖者が暗殺され、しるしが失われてきたからです。
なぜなら、世界がこんなにも分かれてしまって利権が発達している今、支配者層にとって邪魔でしかないからです。
仏陀はなぜ、すでに悟られていた「しるし」(成仏の記号)を、すぐには人に授けずに修行をさせたのでしょうか?
それは、大乗教を説いたあとの、お弟子さんたちの退転を見れば一目瞭然です。
「な〜んだ、こんなもの!」とバカにして去った人がほとんどだったからです。
それほど、この世界のことを単純明快にし、わかりやすく、やすやすと仏になれる方法が、記号の発見だったのです。
『天才は一目でそれを悟る』のですが、『愚人は気休めを好む、無上のものの価値がわからない』の典型的な例です。
わかりにくいもの、奥が深くて意味不明なもの、高尚なものを好むのが愚人なのです。
たった一つの記号を与えられるよりも、意味のわからない、しかも断片的で何の価値もなくなった、説明書にすぎない「梵語」などで書かれた原文の般若心経を「美術品」として愛好するのが精々なのです。
「わかりにくいことを、わかりにくく書いた大学教授や権威ある人が書いたもの」に信頼をおくのが愚人の常なのです。
仏陀は人の権威への弱さや、シンプルなものをバカにする傾向を見抜いていらっしゃったのですね。
それでも、衆生を思うあまり、バカにして法図をそしれば大謗法となって罰を受けますから、修行をさせて、うやうやしく、「成仏の記別」を行ったのです。
「成仏の記別」の恐ろしいことは、デーヴァダッタ(提婆達多)のような悪人が真似をして、衆生をたぶらかすようになるのです。
コピー商品ならまだしも、もう姿が本物ではなく、救いのない、説明のつかないまがいものが世に出回って、また多くの人類を流転においやることになるのです。
信仰心のない悪魔的な人がそのように現れるので、記号をあらわすことは、相当な勇気がいるものです。
神璽と呼ばれる『神のしるし』を様々な名前で呼びました。
アーリア人の崇拝した自然崇拝の中で発見された『神のしるし』。
それがのちに、
西に行ったものとしてはゾロアスター教→ユダヤ教→
系譜の違いの主張によってイスラム教、しるしの再発見によって全人類の救いが説かれたキリスト教になりました。
東に行ったものとしては、バラモン教→しるしを悟る(あるいは授けられる)ことによって全人類が救われることを説いた仏教になりました。
その他、数多ある宗教の真髄は「しるし」のことを説いています。
しかし、「しるし」そのものはもう見ることもなく、発見されることもないまま今に至っているのです。
このことを危惧した仏陀は「しるし」が正しい形のまま伝わることを『正法時代』と呼び、
仏像などを拝むようになり概念だけが残ることを『像法時代』と呼びました。
今は「しるし」も「概念」も削除された説明書しか残っていない、濁悪の『末法』であります。
『末法』の一体なにが悪いのかと申せば、「しるし」のことを誰も知らず、
断片的となった説明書の道徳的な部分だけをかいつまんで「生き方教室」のようになった宗教は
もう「成仏のしるし」という大真髄、人類の生まれて来る大目的を忘れさせて、気休めを言っている大謗法をするようになったからであります。
(謗法とは法をそしる、すなわち『正しき法図をないがしろにする』という意味であります。
これは、人々を根本から救う方法をなくさせる、大変恐ろしい間違いをしているのであります。
世界の宗教は一つであったことを証明する、この「しるし」は、大衆運動にはなりません。
これまで、多くの聖者が暗殺され、しるしが失われてきたからです。
なぜなら、世界がこんなにも分かれてしまって利権が発達している今、支配者層にとって邪魔でしかないからです。
仏陀はなぜ、すでに悟られていた「しるし」(成仏の記号)を、すぐには人に授けずに修行をさせたのでしょうか?
それは、大乗教を説いたあとの、お弟子さんたちの退転を見れば一目瞭然です。
「な〜んだ、こんなもの!」とバカにして去った人がほとんどだったからです。
それほど、この世界のことを単純明快にし、わかりやすく、やすやすと仏になれる方法が、記号の発見だったのです。
『天才は一目でそれを悟る』のですが、『愚人は気休めを好む、無上のものの価値がわからない』の典型的な例です。
わかりにくいもの、奥が深くて意味不明なもの、高尚なものを好むのが愚人なのです。
たった一つの記号を与えられるよりも、意味のわからない、しかも断片的で何の価値もなくなった、説明書にすぎない「梵語」などで書かれた原文の般若心経を「美術品」として愛好するのが精々なのです。
「わかりにくいことを、わかりにくく書いた大学教授や権威ある人が書いたもの」に信頼をおくのが愚人の常なのです。
仏陀は人の権威への弱さや、シンプルなものをバカにする傾向を見抜いていらっしゃったのですね。
それでも、衆生を思うあまり、バカにして法図をそしれば大謗法となって罰を受けますから、修行をさせて、うやうやしく、「成仏の記別」を行ったのです。
「成仏の記別」の恐ろしいことは、デーヴァダッタ(提婆達多)のような悪人が真似をして、衆生をたぶらかすようになるのです。
コピー商品ならまだしも、もう姿が本物ではなく、救いのない、説明のつかないまがいものが世に出回って、また多くの人類を流転においやることになるのです。
信仰心のない悪魔的な人がそのように現れるので、記号をあらわすことは、相当な勇気がいるものです。
日本のタブーとされていることに、縄文人と弥生人との勢力争いがあるとされています。
差別の根拠となる血統・信仰の違いと領土の奪い合いを元にした、土着・漂着の原日本人の人たちと渡来人。
先住民族と、渡来人との戦いは、領土争いだけではなかったと思われます。
その歴史は、征夷大将軍のころに遡ります。
征夷とは、縄文人の子孫(琉球民族・アイヌ民族の祖先とされています)を蝦夷(えみし)と呼んでいたのですが、蝦夷を征伐するという意味であります。
そのあとも、この国の歴史は大きく分けると二つの勢力がずっと主権を争って現代に至るのです。
関東以北に住まわれている人にはピンと来ない話になりますが、同じ国でありながら、これほどまでに血統にこだわる根拠は、もともとの弥生人が持っていた信仰に理由があるように思われます。
弥生人は渡来人と言われ、大陸から来たとされています。
その信仰は原始キリスト教やユダヤ教だと言われております。
事実、日本の神社信仰はユダヤ教と酷似していると言われ、祇園祭はユダヤの祭りのシオン祭とほぼ同じであることが有名になりました。
原始キリスト教やユダヤ教が根拠とするのは旧約聖書になります。
旧約聖書には、神の教えを守る系譜が書かれてあり、血統を重んじることが重要視されたのだと思います。
そして旧約聖書で戒められているのは、ほかの神を拝むことです。
文化・文明は教育や伝達で開かれるものですが、神の系譜や異教徒であることだけは、民族として相容れない部分だったのではないでしょうか?
今の日本人には、そうした根強い信仰心というものは消え去っており、差別だけが残っているのです。
そして、もう一つ言及したいことがありますが、
「大和朝廷(漢民族等の渡来人) V S 蝦夷(熊襲・隼人・琉球民族・アイヌ民族)」
この争いは、源氏と平氏の争い・南朝と北朝の争いに引き継がれて行きました。
源氏は大和朝廷側の勢力だったとされています。
平家の落人が作られたとされる「こきりこ節」にはヘブライ語が含まれており、
デデレコデンの箇所が「バデレコダン」である可能性があるとされています。
これはユダヤの氏族のうちのダン族の歌だと言われています。
歌詞は帰郷を指し、「ダン族は行進する」という意味になるそうです。
さらに、近年の科学の発達により、DNA解析のデータが進んでおります。
島国であり、ほかの民族の出入りが少なかった日本人には、古代血統とされる
「Y遺伝子D系統」を多く持つ人種です。
この遺伝子はチベットや中近東の人だけが持ってるとされ、ほかではほとんど存在しないのです。
地中海沿岸や中東に分布するE系統の仲間だとされ、非常に古い系統なのだそうです。
太古にも同じ血統がおり、渡来した人々にも共通の遺伝子が発見されたと考えられます。
渡来の過程にチベットを通過していてもおかしくはありません。
日本に渡来するまでに、途中で血統のほとんどが途絶える事件もあったかもしれません。
山岳地帯という、閉ざされた環境によって、チベットではその遺伝子が生き残れたのだと考えられます。
そうなると、この国の古い民族同士が、
「異教徒だから」「異邦人だから」
という理由で差別をし、争って来た歴史が、大変不毛だったことがわかるのです。
D系統はアイヌ88%、琉球56%、本土42%~56%、チベット33%と言われています。
「セム」といわれる黄色人種の祖から生まれた氏族から、仏陀、キリスト、その他の(悟り)を得る人が生まれている、という言い伝えがあります。
「セム」は白人種と枝分かれしたばかりの、寒冷地に適応する以前の古モンゴロイドの祖ともいえます。そのほとんどは絶滅しました。
昔はアジア全域にあった遺伝子なのだそうですが、混血や戦乱によってほぼ消滅したそうです。
海に守られてる日本や山に囲まれてるチベット、インドのアンダマン諸島などで生き残ったようです。
(これらの地域が聖者の発祥地に共通していることにお気づきでしょうか? ちなみに旧約聖書のエデンの場所はイラク付近だと言われております。)
だからこそ、この血統は迫害をされやすかったといえるかもしれません。どの時代にも支配層にとって、人類の幸福を明らかにする人の存在は煙たいものだからです。
原日本人、漂着日本人、渡来日本人の3種が混じって今の日本人があると言われていますが、この3種はD系統を持っているといわれています。
この狭い地球で、長い長い歴史の中、人間のはじまりなんて誰にもわかりません。
原初の神は同じだったかもしれません。
元は同じ兄弟だったかもしれません。
争いはやめるべきです。
3種の日本人は、みな元が兄弟であり、今となっては絶滅の危機にさらされた遺伝子を持っています。
わたしたちは守り合わなければなりません。
そして何よりも、同じ兄弟だったかもしれない者を傷つけることは、原初の神にとって罪なのは当然です。
※どこの宗教団体も当会は関係がありません。
差別の根拠となる血統・信仰の違いと領土の奪い合いを元にした、土着・漂着の原日本人の人たちと渡来人。
先住民族と、渡来人との戦いは、領土争いだけではなかったと思われます。
その歴史は、征夷大将軍のころに遡ります。
征夷とは、縄文人の子孫(琉球民族・アイヌ民族の祖先とされています)を蝦夷(えみし)と呼んでいたのですが、蝦夷を征伐するという意味であります。
そのあとも、この国の歴史は大きく分けると二つの勢力がずっと主権を争って現代に至るのです。
関東以北に住まわれている人にはピンと来ない話になりますが、同じ国でありながら、これほどまでに血統にこだわる根拠は、もともとの弥生人が持っていた信仰に理由があるように思われます。
弥生人は渡来人と言われ、大陸から来たとされています。
その信仰は原始キリスト教やユダヤ教だと言われております。
事実、日本の神社信仰はユダヤ教と酷似していると言われ、祇園祭はユダヤの祭りのシオン祭とほぼ同じであることが有名になりました。
原始キリスト教やユダヤ教が根拠とするのは旧約聖書になります。
旧約聖書には、神の教えを守る系譜が書かれてあり、血統を重んじることが重要視されたのだと思います。
そして旧約聖書で戒められているのは、ほかの神を拝むことです。
文化・文明は教育や伝達で開かれるものですが、神の系譜や異教徒であることだけは、民族として相容れない部分だったのではないでしょうか?
今の日本人には、そうした根強い信仰心というものは消え去っており、差別だけが残っているのです。
そして、もう一つ言及したいことがありますが、
「大和朝廷(漢民族等の渡来人) V S 蝦夷(熊襲・隼人・琉球民族・アイヌ民族)」
この争いは、源氏と平氏の争い・南朝と北朝の争いに引き継がれて行きました。
源氏は大和朝廷側の勢力だったとされています。
平家の落人が作られたとされる「こきりこ節」にはヘブライ語が含まれており、
デデレコデンの箇所が「バデレコダン」である可能性があるとされています。
これはユダヤの氏族のうちのダン族の歌だと言われています。
歌詞は帰郷を指し、「ダン族は行進する」という意味になるそうです。
さらに、近年の科学の発達により、DNA解析のデータが進んでおります。
島国であり、ほかの民族の出入りが少なかった日本人には、古代血統とされる
「Y遺伝子D系統」を多く持つ人種です。
この遺伝子はチベットや中近東の人だけが持ってるとされ、ほかではほとんど存在しないのです。
地中海沿岸や中東に分布するE系統の仲間だとされ、非常に古い系統なのだそうです。
太古にも同じ血統がおり、渡来した人々にも共通の遺伝子が発見されたと考えられます。
渡来の過程にチベットを通過していてもおかしくはありません。
日本に渡来するまでに、途中で血統のほとんどが途絶える事件もあったかもしれません。
山岳地帯という、閉ざされた環境によって、チベットではその遺伝子が生き残れたのだと考えられます。
そうなると、この国の古い民族同士が、
「異教徒だから」「異邦人だから」
という理由で差別をし、争って来た歴史が、大変不毛だったことがわかるのです。
D系統はアイヌ88%、琉球56%、本土42%~56%、チベット33%と言われています。
「セム」といわれる黄色人種の祖から生まれた氏族から、仏陀、キリスト、その他の(悟り)を得る人が生まれている、という言い伝えがあります。
「セム」は白人種と枝分かれしたばかりの、寒冷地に適応する以前の古モンゴロイドの祖ともいえます。そのほとんどは絶滅しました。
昔はアジア全域にあった遺伝子なのだそうですが、混血や戦乱によってほぼ消滅したそうです。
海に守られてる日本や山に囲まれてるチベット、インドのアンダマン諸島などで生き残ったようです。
(これらの地域が聖者の発祥地に共通していることにお気づきでしょうか? ちなみに旧約聖書のエデンの場所はイラク付近だと言われております。)
だからこそ、この血統は迫害をされやすかったといえるかもしれません。どの時代にも支配層にとって、人類の幸福を明らかにする人の存在は煙たいものだからです。
原日本人、漂着日本人、渡来日本人の3種が混じって今の日本人があると言われていますが、この3種はD系統を持っているといわれています。
この狭い地球で、長い長い歴史の中、人間のはじまりなんて誰にもわかりません。
原初の神は同じだったかもしれません。
元は同じ兄弟だったかもしれません。
争いはやめるべきです。
3種の日本人は、みな元が兄弟であり、今となっては絶滅の危機にさらされた遺伝子を持っています。
わたしたちは守り合わなければなりません。
そして何よりも、同じ兄弟だったかもしれない者を傷つけることは、原初の神にとって罪なのは当然です。
※どこの宗教団体も当会は関係がありません。